「仲間と共に

楽しく成長しながら
働くことのできる世界へ」

アールアイ株式会社 齋藤 一博

アールアイさんにくると、
なんか元気をもらえるんですよね

会社訪問にいらした銀行の支店長さんがこんな言葉をかけてくださいました。

“アールアイに行って、社員に会うとパワーをもらえる”
私どもとつながりのあるすべての方と、そんな関係を拡げていくのが私の願いです。
アールアイの社員はすごく仲がいいです。
「家族が出張に出ていて、一人きりの夕食が寂しい」と誰かが言ったら、みんなでご飯を食べに行ったりします。

座学よりも体で体験することを大切にし、成長できる色々な学びの機会を積極的に取り入れています。

アールアイの社員は、
いつも楽しそうにしている

そんなふうにお声をかけていただけるような、社員がいきいきと輝く会社を目指し、3年前から離職率もほぼゼロになりました。

「この会社を選んでくれてありがとう」と、社員全員に感謝しかありません。

しかし、アールアイは、最初からこうだったわけではありません。
さまざまな苦悩や紆余曲折を経て今の私たちがいます。

少しの間、
私のストーリーにお付き合いください。

アールアイ株式会社の設立は1980年。
先代である私の父、齋藤功一が「東京アールアイ」として起ち上げました。

子供の頃を思い起こすと、
父はいつも働きに出ていて、家にいた記憶がありません。

夏休みに海に出かける時も、海に家族を送り、仕事に行き、また海に迎えにきてくれたことを覚えています。

私が中学生の時に、父が心筋梗塞で倒れました。
今思えば、生きるか死ぬかという危機的な状況。
しかし、当時、子供だった私たちにそれを感じさせることはありませんでした。
よくぞ、死にかけても這い上がってきたと思います。

そんな父の姿に“会社を守り、家族を守る強さ”を学びました。

私は4人兄弟の長男で、周りから「2代目、2代目」と小さい頃から言われて育ちました。
一方で、父からは“継ぐ”という二文字は、一切出てきませんでした。

私はというと、高校時代は自転車競技に没頭する日々でした。

高校に入ってはじめたにも関わらず、入部した自転車競技部は、少数ながら毎年全員インターハイに出るほどの強豪チーム。
部活でありながら、それぞれがクラブチームに所属し競技の技術を磨いていくのです。

当時の日常は朝4時におきて、東京都内から埼玉まで自転車で往復した後、学校へ行く。
学校が終わったらクラブチームがある練馬まで急いで戻ってまた走る。
土日は中野から山梨まで自転車で往復。
そんな日々を繰り返しながらどんどんと勝ち進めるようになって、仲間と一緒に上を目指していくという事がとにかく楽しかった時代です。

そうやってインターハイにも出場し、名前も少しずつ出てくるようになった頃に、越えられない壁が来ました。
地域では取れる。勝てる。でも全国ではどうしてもあと一歩が及ばない。
悔しくて悔しくて高校卒業後、実業団の門を一軒一軒たたいて大阪の実業団へ入団しました。

しかしそこでも同じことの繰り返しです。
あと一歩が越えられない。

経営者としてチームと共に大きな志を持って生きる今となってその理由は良くわかるようになりました。

当時の私は目の前の試合、目の前の事にしか目が行っていなかった。
結果を出している人たちは皆、当時から世界を見ていたんです。

そしてこの経験が今の私自身のありがたい基盤のひとつになりました。
努力をすることは勿論大切ですが、自力だけでは越えられない大きなものがあると身体を通して腑に落ちた体験です。

「もっと大きな世界が見たい」そんな私を黙って後押ししてくれたのも父です。

はじめて父が会社のことを話してくれたのが「かず、会社つぶした」このひと言。
当時、一度家業は倒産をしてしまったのです。

そんな中でも私が「ヨーロッパで修行したい」と頭を下げると、まったくお金がなかった父が「いいよ」と言ってくれた。

会社を潰すという事がどれほどの想いだったかのか、当時思い至る事のできなかった自分自身が情けない限りです。

そうして私はと言えばさらに競技に没頭し、国際大会のメンバーにも選ばれた矢先、まさにこれからとい言う時に、競技中に転倒。手術後には長いリハビリ生活が待っていました。

やむなく大阪から一度実家に戻り療養していたら、

「リハビリしているなら、会社の電話番くらいしてくれるか?」
と父から声をかけられます。

父は新たな仕事で会社の再起に奮闘していたのです。

思えば自転車にも乗れずただ家にいる私への父の精一杯の心遣いだったのかもしれません。
しかし、この時が私にとっての運命の分かれ目。結果的に私がこの会社に入ったきっかけとなりました。

そこからは、仕事に追われる毎日。
実業団に戻るどころではなくなり、心の中で苛立ちを感じるのも束の間、頭も体も毎日フル回転。悩む暇もありませんでした。

1年たった頃には、私が抜けたら会社が回らない状態。
実業団に戻ることは断念し、がむしゃらに走って、ひたすら働きました。

父の仕事への姿勢は厳しいものでした。
肺炎になりかけて休んでいたある日も「大事な打ち合わせだけは出るように」と言われ、咳き込みながら出社したこともありました。

「今日は一緒に銀行に行ってくれ」と言われ、当時の私は保証人の意味もわからないまま、融資の保証人となったり。父がわからないものを私が一から調べて作ったり。

いつも二人三脚で乗り越えてきました。

そういう体験をさせてもらったことのすべてが貴重な経験となっていたこと。
実は“自分は守られながら仕事をしていた”ということに、今あらためて気づかされます。
その頃の私の気持ちを正確に表すとしたら

“この会社を継ぐ”というよりも“この会社を人に渡したくない”という気持ちでした。

それは、子供の頃から父親の背中を見て育ち、“この会社は父が命懸けで築き上げてきた、父の一番大事なものなのだ”ということが伝わっていたからかもしれません。

一方で、当時の社内は社員が入れ替わり立ち替わりという状態。
その時にいたメンバーで、現在まで残っているのはわずか一人だけです。

“中小企業なんてそんなものだ”

そう思っていましたし、目の前の仕事に必死で、人が辞めていく理由をそこまで考える余裕もありませんでした。

社員とのコミュニケーションの重要性にも思いが至らず、“仕事は仕事”というスタンスでした。

“社員と話しても、どうせ愚痴をきかなければいけない”
そんなふうに心の中で思っていたので、社員と飲みに行くことや、社員旅行も気乗りしませんでした。

今思うと、当時の私は孤独でした。

自分がつまらない。
必死に働いて、ひとりで走っているけれど、誰もついてこない。
とはいえ、走っていないと会社が続かない、
人に任せることもできない。
自分で何でも抱え込んでしまう。

スケジュールがタイトな業務は率先して自分が受け持って、休み時間も休日も返上しているのに、それでも社員から文句が出る。
父からは「これはどうなっているのか?」と指摘される。

上からも下からも板挟みの状態で自分がロボットになったような感覚でした。
子供にもほとんど会えません。

ただ、がむしゃらに働いて毎日を過ごす中で、“なぜ自分は働くのか?”自分自身を見つめ直そうと思い始めました。

そんな中で自分を一番変えたのは、父の突然の死でした。

父が亡くなる1年前の春の日、3月の中旬頃でしょうか、父が突然私を呼び出して「4月からおまえを社長にする」と私に告げたのです。
自信がなく嫌がる私の意見などはまったく聞き入れてもらえません。

今想えば、父は自身の終焉をしっかりと見据えていたのでしょう。
父はその後、現在の場所に会社の移転を決め、お金の段取をすべて済ませていました。

こんな事もありました。

ある日近所に撮影に来ているプロのカメラマンを発見した父は、そのカメラマンに「俺を撮ってくれ!」と突然声をかけたのです。
その勢いに押されたのでしょう。カメラマンが突然の依頼を受けてくれると父はスーツに着替え、自宅の庭で撮りたいと願い出たのです。

それが遺影となりました。

社長交代の父の一言から、丁度1年
ここまで全ての段取りを整えて、父は旅立ちました。

大きな決断をしたのだと思います。自分では今の場所への移転も到底決断できない出来事でした。
予想もしていなかった突然のできごとに直面し、“永遠に続くものはないし、すべてのものは、いつかはなくなる時がくる“と実感した時に

“このままだったらこの会社は絶対潰れる”
“何かを変えなければ”と危機感を感じました。

そこから懸命に経営の仕組みや、心の仕組みを一から学びました。

経営計画書の作り方を学び、銀行から融資を受けるための計画を自ら立て、予算の策定などにも積極的に携わるようになりました。

「自分を変えたい」と思い、心の仕組みを学び、内省内観に取り組みました。
はじめて自分と本気で向き合った時、

自分は一人だけでやっていたこと
自分が自分を信じていなかったこと
人を信じることができていなかったこと

そんな深い自分の想いに出逢いました。

「自分を変えたい。本気で挑んだ内観」

そうして自分を許してもいい。みんなを頼ってもいいと心から思えた時、
大きな重荷が降りたと同時に心の中が満たされていくような感覚につつまれました。
そうすると不思議とこんな事が会社で起こりました。

あるクレーム対応にどうしても自分が行けない場面があり途方にくれていた私に「私がいきます!」と常務がさっと手を挙げてくれたのです。

「行ってくれるんだ!」と本当に素直に驚いて「あぁ、自分は一人じゃないんだ、任せてもいいんだ」と。
はじめて心から思えた瞬間でした。

私が社長になって10年、ずっと側で支えてくれた幹部はこうやって常にサポートをしてくれていたはずなのに私が受け入れることができていなかったのです。

「気が付けばずっと支えてくれていた」

本当にそこからです。
社長である私が

人を信頼して任せることができるようになり、楽しんで仕事をするようになった。

そうしたら、社員に責任感が芽生え、彼らも楽しく働くようになりました。

日々、社員の行動や発言が変化してきているのを感じます。

「みんなで成長していこう。」

土曜日に自主的に出社する社員もいます。
それは、
“ここは自分たちの会社だ”
“自分たちの会社は自分たちで守っていく”
という主体的な意識があるからではないでしょうか。
それぞれが自分の仕事に責任を持っています。

“すべての責任は自分にある”という立場をとること。
自分自身に責任を持つことは、自分に自信を持つことにつながり、企業の信頼にもつながっていきます。

すべてが自分の責任と捉えることで感謝の気持ちも大きくなり一人ひとりの動きも変わってきます。

まさに

“社長が変わることで、社員が変わる”ということを実感しました。

「家族のように一緒に時間を過ごして学ぶ」

この経験を生かして、今後、私が取り組んでいきたいのが、

2代目、3代目の経営者の方々の伝導師となることです。

長いあいだ、創業者と2代目の温度差を感じてきました。

創業者は“自分はこうなる”という強いビジョンをもっています。
2代目、3代目の経営者は、創業者の作ったビジョンがすでにあるので、
“自分がどうなりたいのか”を深く追求していない人も多いのではないでしょうか。

“自分はどのような経営者として生きていくのか?”
“どのように会社を愛して、社員を愛していくのか?”
を問うことを、これから出会う経営者たちに伝えていきたいと思っています。

それが、結果として、色々な会社が繁栄し、さらには社会が、日本が繁栄することにつながると信じているからです。

そして、冒頭でもお話したように、私たちと関わるすべての人にとって何かヒントやきっかけを与える会社でありたい。
困った人に手を差し伸べることができる会社でありたい。

という想いを心に、

社会に貢献していく企業を目指していきます。

さらに、同じ想いを持つ企業の輪を拡げ、より多くの人たちが楽しく成長しながら働くことのできる世界へと発展していくというビジョンを実現していきます。

代表挨拶

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